創業90年と2ヶ月半。90年は、通過点だと思っています。

6月15日。これが阿部写真舘の創業日です。
昭和11年、1936年。今年でちょうど90年でした。

その報告を、2ヶ月半遅れで書いています。

言い訳をすると、忙しかった。いま「外人」という映画を1本作っていて、その準備と重なっていました。
ただ、それだけではありません。「そういえば今年で90年か」と、うっすら勘づいてはいたのです。勘づいていて、動かなかった。

理由ははっきりしています。昔から「創業100年」しか見ていないからです。
90年は、通過点。そう思っているので、手が止まりました。

まあ、サボっていただけかもしれません(笑)

そんな自分への自戒の意味を込めて、ちょっと振り返って書いてみます。

90年前の店先

昭和11年6月、創業当時の阿部写真舘。藍畑の写場の店先。看板柱に「阿部寫眞舘」「晝夜撮影」の文字。
創業当時、藍畑の写場(昭和11年6月)

一枚だけ、創業した頃の写真が残っています。

昭和11年6月。徳島県名西郡石井町の藍畑(あいはた)。ここが阿部写真舘の始まりの場所です。

木造の引き戸に、ショーウィンドウ。額に入れた写真が並んでいます。軒には紙垂が下がっている。店を開けたばかりだったのでしょう。店先には自転車が2台。

そして、男が一人。自転車に手をかけて、こちらを見ています。
初代です。私のひいおじいちゃんにあたります。

私が好きなのは、看板柱の文字です。
「阿部寫眞舘」。その横に、もう一行あります。

「晝夜撮影」

昼夜撮影。夜でも撮りますよ、という宣伝です。

正直に書くと、なぜこれをわざわざ彫ったのか、私にはよく分かりません。
電気の灯りが貴重だったからかもしれない。単に働き者だっただけかもしれない。90年前の話なので、聞ける人がもういません。

分かるのは、これが一番目立つ場所に立っていたということだけです。
ひいおじいちゃんは、ここで勝負すると決めた。

やっていることは、今の私と大して変わりません。
他がやらないことをやる。それだけです。

それでも、90年です

90年は、勝手に続いたわけではありません。

藍畑の写場から始まって、1961年に石井駅前へ移りました。1993年に徳島駅前。2010年に大阪、2018年に茨城。
並べてみると、ずっと誰かが決断してきた記録です。あの写真の人から数えて、私で4代目になります。

つまり90年のうち、私が背負っている部分はごく一部でしかない。
残りは、先代たちと、通ってくださったお客様と、一緒に働いてきたスタッフが積んだものです。

ここは素直に書きます。ありがとうございます。
続いたのは、私の手柄ではありません。

写真は「ある意味で」とても簡単になった

あの看板から90年。
この50年で、写真はずいぶん簡単になりました。

参入障壁が、劇的に下がったのです。現像も、露出の計算も、知らなくていい。今はボタンを押せば、一応は写ります。夜だって写る。
「晝夜撮影」は、もう誰の売り文句にもなりません。

写真は「民主化」しました。みんなのものになった、と私は思っています。

誤解のないように書いておくと、表現の幅が狭くなったわけではありません。芸術としての奥深さも、何ひとつ変わっていない。
変わったのは裾野です。技術がなくてもスタートラインに立てるようになった。それ自体は、良いことだと思っています。

同じことが、いま映像で起きている

そして今、まったく同じことが映像の世界で起きています。

かつて映画は、莫大な資金と大がかりな機材がなければ作れないものでした。それが「ある意味で」とても簡単になった。写真も動画も、同じカメラで撮れます。

現に私が今、映画を1本作っています。「外人」という作品です。
写真館の4代目が、映画を撮る。10年前の自分に言っても、たぶん信じません。

境界線が、溶けています。
写真家だから映像は撮らない。その理屈は、もう成立しません。

「写る」と「心が動く」の間

では、誰でも撮れる時代にプロは要らないのか。

要ります。
「写る」と「心が動く」の間に、まだ距離があるからです。プロの仕事は、その距離の中にしかありません。

私はこれまでに2000人以上を撮ってきました。
それだけ撮っても、シャッターを切る前に「まだだ」と思う瞬間があります。カメラは何も悪くない。露出も合っている。ピントも来ている。それでも、まだです。

その「まだだ」が分かるかどうか。
差はそこにしかない、と今は思っています。

機材が良くなるほど、この距離だけが残っていく。
だから仕事がなくなるとは、私はまったく思っていません。

100年まで、あと10年

100年まで、あと10年です。

正直に言うと、90年をめでたいと思っていません。だからパーティーもしません。
ただ100年の時は、さすがにやってしまうかもしれない。10年後の自分に投げておきます。

まだ10年もあります。
よかったら、それまで仲良くしてくれたら嬉しいです。

藍畑の看板柱に「晝夜撮影」と彫った人が、100年後を想像していたとは思えません。
ひ孫が映画を撮っているなんて、なおさら思っていないはずです。
私にも、100年後は見えていない。それでも、続けます。

一人の職人として、クリエイターとして、これからも精進します。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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