映画事業に興味のあるマーケッターを探しています。

今日は人を募集するにあたり僕がなぜ映画をやっているか、個人的な理由をお伝えさせてください。

僕は阿部写真舘という徳島の写真館の4代目として生まれました。創業したのは曽祖父で結構破天荒なところがあったようです。自宅で曽祖父が始めた写真館は養子に入った2代目の代で街で一番大きな写真館になりました。

一人っ子だった母。婿入りしてきた父親と姉、そして4代目にして初めて生まれた後継息子が僕です。

僕の名前は拓歩と言います。これは自分の道を開拓して歩きなさいという意味。でも不思議だったのは僕には4代目という立派なレールが既に敷かれていたのです。

高校生の時に父親が徳島で一番大きなホテルに出店しました。

平屋だった徳島駅前に大きなターミナルができ、駅に直結しているホテル内に阿部写真舘の支店ができたのです。そのこと自体はとても誇らしくあったのですが、僕は写真館という存在が古臭いものに思えてなりませんでした。

かっこいいクリエイターになりたいのに、写真舘なんてダサい。

そう思っていました。

だから16歳の時に「僕は継がない」と宣言した時の祖母の悲しそうな顔をよく覚えています。

でも僕は自分の道がそこにあるとは思えなかったのです。ミュージシャンになるという夢を持って18歳で上京。20歳の時、デビューのチャンスがあったのですが、僕は何故かそのバンドを辞めてしまいました。直感的に「自分の道」だと思えなかったんです。

多分、これまで何不自由なく育ててくれた両親やご先祖様に喜んでもらえるとは思えなかったからでしょう。阿部写真舘にとってシナジーが生まれることでなければダメなのです。

25歳の時、家業を継いでからしばらくは大変だったのですが、31歳の時に大阪に店を出せることになりました。僕は大阪に進出することで4代目の仕事をした。そう思っていました。でも大阪に出て分かったのです。大切なのはお店を増やすことではない。

写真館という仕事を進化させることだと。

 

うちが創業した戦前の頃、カメラマンという職業はとても先進的で特別な仕事でした。当時の最先端技術を駆使したカッコいいクリエイターであったはずです。

阿部写真舘をかっこよくしたい。

愛する娘たちや今を生きる若者にとって魅力的な会社になりたい。

 

そのために僕が切り開く道はどこにある?

そんなことを考えながら過ごしていましたが自分が撮った写真がたまたま映画のポスターに選ばれた時、僕は映画界に呼ばれているかもしれないと思ったのです。

そこから5年。

準備を少しずつ始め商業映画の現場に見学に行ったりしましたがこの度、自分が初めて監督をした映画作品が出来上がりました。僕は阿部写真舘を若者が憧れる会社にしてみせる。

普段は忘れがちな家族の絆。

大切な家族に会いたくなるような映画を世界に届ける映画スタジオを作ってやる。それが僕が映画に挑戦する理由です。

代々大切にしてきた「変化を恐れない姿勢」を心のど真ん中に置きながらも挑戦し続ける人生を選びたい。

でも映画を作るのってめちゃくちゃ大変で正直全然リソースが足りません。

映画のチケットを売る方法もわからないし、映画館とどうやって付き合っていけば良いか、配信するために何が必要かもわかりません。海外の映画祭に応募するためには英語に翻訳する必要がありますが、今はその費用もありません。

でも一番必要なのはマーケッターです。

これから新しく映画事業を始めるのなら突破口はwebにしかない。webで映画を売らないと東宝や東映が作る映画に勝ち目はない。

というわけでインターネットのマーケティング運用ができる人、SNSの運用が得意な人材を募集しています。力を貸してくれそうな人、知り合いに相談できそうな人がいたら是非教えてください。

仲間と応援してくれる人を熱烈に募集しています。

ただ、今は資金に余裕はありません。いわゆる歩合制になるかと思いますので、それでも協力してくださる方のご連絡をお待ち申し上げております。

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