カメラマンを目指す前に知るべき写真の歴史

一眼レフについて書いたブログがとても反応が良かったので、今日も写真とカメラについて思うことを書いてみたい。これからの時代にカメラマンはどうあるべきなのか?

「写せる」だけで仕事がきた写真技師

写真が生まれたのは今から約200年前の1830年頃。よく絵画と写真って比べられるんですけど、メッチャ歴史は浅いんですよね。写真が生まれた頃、写すのは技術的にとても難しい事だった。露出計で光の強さを測り適切な露光をしないと写らない。また写ってるかどうかも現像してみないと分からない。

モノクロフィルムの時代は現像所などもなく現像液も自分で調合するものだった。それでも、画家がペンで模写するより写真技師を呼んできたほうがずっと早かったんです。写真技師は画家から多くの仕事を奪った。

 

誰でも写せる時代の到来

1955年頃からようやく一般家庭に少しづつカメラが普及し始めました。肩からカメラをぶら下げて歩いてるのはだいたい日本人とまで言われるようになった。そして1986年爆発的にヒットしたのがこれ。

写ルンです。登録商標はカメラではなく「レンズ付きフィルム」となっている。ウィキペディアより画像を拝借しました。

ピント合わせもない。ただ、フィルムを手で巻いてボタンを押せば誰でもカンタンに写せるようになったわけです。写ルンですのお陰で写真はみんなのものになった。

早すぎるテクノロジーの進歩

1999年9月にDDIポケットから発売されたカメラ付き携帯電話。「写す」ために必要な技術の垣根がどんどん無くなってきています。そして最近、流行っているインスタグラム。恐ろしいことに誰でもオシャレに撮れる時代が来ようとしています。写真はみんなが気軽に自分の見た世界を表現できるアートになったわけです。

インスタグラムの編集画面。このフィルタ機能がスゴい。テキトーに選んでいくと何となくカッコ良くなる気がする。写真は僕と東証一部上場企業であるネクシィーズの近藤太香巳さん。撮ったのはプロカメラマンではない。

ハッキリ言ってすんごい時代である。誰でもそこそこオシャレな写真が撮れる。今はプロカメラマンも女子高生もおジイちゃんもオバアちゃんもみーーんな横並び。感性の時代であります。

画家のほとんどが職人ではなくアーティストになっていったようにフォトグラファーのほとんどはアーティストになりつつある。これからの時代にカメラマンはどうあるべきなのか?

カメラマンはギタリストではなくシンガーになるべき

僕が生まれ変わったらなってみたいギタリストNO1のエリック・クラプトン。ギターの神様と呼ばれてみたい。

僕は写真を撮るならギタリストではなくシンガーのようににならなければならないと思っている。ギターっていう楽器は買ったその日からステージで曲を奏でることはできない。基礎練習をしてコードを覚えたりしないと曲は演奏できない。でも写真の世界ではギタリストになる必要はない。誰でもステージで歌うことは出来るのと同じように、誰でも写真を撮ることができる。

技術より気持ちが大切。

発声が上手なのに全く伝わらないシンガーがいます。発声がダメでも人に感動を伝えることができるシンガーも居ます。上手になりたかったら練習が必要なのは当たり前ですけど、一番はじめに必要なのは技術ではない。気持ちなんです。どれだけ技術があったとしても伝えたい想いがないと0点になるのがシンガーです。ギタリストは技術で誤魔化すことが出来るけど写真はもう誤魔化せないんです。

テクニックで攻めるカメラマンの恐怖

伝えたいことがない人がテクニックで伝えようとするとどうなるか。「俺、イケてるでしょ?」っていう寒い写真が出来上がります。そう。そのカメラマンが伝えたいことは自分の写真の腕の良さになっちゃうんです。写真にはカメラマンのメンタルが写ります。どんな気持ちでその被写体と向き合ったのか。怖いぐらいに。

あなたの世界観を表現する

露出なんて知らなくていい。レンズなんて知らなくていい。ライティングを覚える前に、フレーミングを考える前に自分の伝えたい事をイメージする必要がある。あなたはどんな感動を写真で伝えたいのか?あなたにはどんな世界が見えているのか?おじさん達の作った写真に対する古い観念に縛られる必要はない。

あなたはもっと自由でいい。そんな事を思ったのでした。

ファンに銃で撃たれて死ぬまで自分の世界観を歌い続けたジョン・レノン。

 

一眼レフについて書いたブログがとても反応が良かったので、今日も写真とカメラについて思うことを書いてみたい。これからの時代にカメラマンはどうあるべきなのか?

「写せる」だけで仕事がきた写真技師

写真が生まれたのは今から約200年前の1830年頃。よく絵画と写真って比べられるんですけど、メッチャ歴史は浅いんですよね。写真が生まれた頃、写すのは技術的にとても難しい事だった。露出計で光の強さを測り適切な露光をしないと写らない。また写ってるかどうかも現像してみないと分からない。

モノクロフィルムの時代は現像所などもなく現像液も自分で調合するものだった。それでも、画家がペンで模写するより写真技師を呼んできたほうがずっと早かったんです。写真技師は画家から多くの仕事を奪った。

1980年ぐらいの撮影風景。左に写っているのは僕の母(笑)僕の実家の阿部写真館は母で3代目になり今年79年にもなります。

誰でも写せる時代の到来

1955年頃からようやく一般家庭に少しづつカメラが普及し始めました。肩からカメラをぶら下げて歩いてるのはだいたい日本人とまで言われるようになった。そして1986年爆発的にヒットしたのがこれ。

写ルンです。登録商標はカメラではなく「レンズ付きフィルム」となっている。ウィキペディアより画像を拝借しました。

ピント合わせもない。ただ、フィルムを手で巻いてボタンを押せば誰でもカンタンに写せるようになったわけです。写ルンですのお陰で写真はみんなのものになった。

早すぎるテクノロジーの進歩

1999年9月にDDIポケットから発売されたカメラ付き携帯電話。「写す」ために必要な技術の垣根がどんどん無くなってきています。そして最近、流行っているインスタグラム。恐ろしいことに誰でもオシャレに撮れる時代が来ようとしています。写真はみんなが気軽に自分の見た世界を表現できるアートになったわけです。

インスタグラムの編集画面。このフィルタ機能がスゴい。テキトーに選んでいくと何となくカッコ良くなる気がする。写真は僕と東証一部上場企業であるネクシィーズの近藤太香巳さん。撮ったのはプロカメラマンではない。

ハッキリ言ってすんごい時代である。誰でもそこそこオシャレな写真が撮れる。今はプロカメラマンも女子高生もおジイちゃんもオバアちゃんもみーーんな横並び。感性の時代であります。

画家のほとんどが職人ではなくアーティストになっていったようにフォトグラファーのほとんどはアーティストになりつつある。これからの時代にカメラマンはどうあるべきなのか?

カメラマンはギタリストではなくシンガーになるべき

僕が生まれ変わったらなってみたいギタリストNO1のエリック・クラプトン。ギターの神様と呼ばれてみたい。

僕は写真を撮るならギタリストではなくシンガーのようににならなければならないと思っている。ギターっていう楽器は買ったその日からステージで曲を奏でることはできない。基礎練習をしてコードを覚えたりしないと曲は演奏できない。でも写真の世界ではギタリストになる必要はない。誰でもステージで歌うことは出来るのと同じように、誰でも写真を撮ることができる。

技術より気持ちが大切。

発声が上手なのに全く伝わらないシンガーがいます。発声がダメでも人に感動を伝えることができるシンガーも居ます。上手になりたかったら練習が必要なのは当たり前ですけど、一番はじめに必要なのは技術ではない。気持ちなんです。どれだけ技術があったとしても伝えたい想いがないと0点になるのがシンガーです。ギタリストは技術で誤魔化すことが出来るけど写真はもう誤魔化せないんです。

テクニックで攻めるカメラマンの恐怖

伝えたいことがない人がテクニックで伝えようとするとどうなるか。「俺、イケてるでしょ?」っていう寒い写真が出来上がります。そう。そのカメラマンが伝えたいことは自分の写真の腕の良さになっちゃうんです。写真にはカメラマンのメンタルが写ります。どんな気持ちでその被写体と向き合ったのか。怖いぐらいに。

あなたの世界観を表現する

露出なんて知らなくていい。レンズなんて知らなくていい。ライティングを覚える前に、フレーミングを考える前に自分の伝えたい事をイメージする必要がある。あなたはどんな感動を写真で伝えたいのか?あなたにはどんな世界が見えているのか?おじさん達の作った写真に対する古い観念に縛られる必要はない。

あなたはもっと自由でいい。そんな事を思ったのでした。

ファンに銃で撃たれて死ぬまで自分の世界観を歌い続けたジョン・レノン。

 

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