こんにちは。今日は金曜日ですね。娘と近所の盆踊りに行く約束をしているので、今日は7時に家に帰るぞ!そんな決意をもってブログを書いています。
さてさて。
データじゃ写真は撮れない。そんな事をこの前のブログ記事で書きました。そしたらFacebookでお友達の小西さんからこんな感想を頂きました。
大いに共感。ほんと写真はセンスだよね。
観光地で建物バックに人物撮影なんてシチュエーションはほんとに感性が出てくる。
同じ場所から撮ってるのに、人によって「なんでそこで切り取るかな〜?これはひどい。いや酷すぎる。」って写真を撮る人が居る。そういう人に限って、立派な一眼レフを首からぶら下げてたりするからガッカリしちゃいます。
私は写真が好きで色々見てきたけど、あべたくの撮る写真にぞっこんです。べた惚れです☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
そう、同じことしてもセンスで全く違ってきますよね。ホントに良いカメラ持っているのに使いこなせてない人ってホントに多い。そして本人はそれに気づいてなくて、奥さんはよく知っているということも良くある話(笑)
カメラ好きと写真好き
この世界って写真好きとカメラ好きの2種類の人がいるんですよね。
カメラ好きの人の特徴は機材のレビューサイトなんかでやたら雄弁に発言していて使っているカメラを自慢していたりする。また、写真を撮っていたりすると「おお〜〜!1D(機種の名前)使ってるんですね〜〜。さすがプロは違うね〜〜」などという話になったりする。反対に、使っている機材がしょぼいと急に偉そうな口を叩いたりすることもある。
カメラ好きは使っているカメラのランクでその人の腕を判断します。なぜかというと写真というメガネで判断することが出来ないから(爆)「このカメラで撮ったら良いのが撮れる。」カメラメーカーの思惑通りにお金を落としてくれる有り難い存在です。一方、写真好きはカメラの話をあまりしない。カメラは自分の世界を写しだしてくれる道具という位置づけだ。自分の世界に価値を付け足すのがカメラである。
でも、、何でこんなことになっちゃうのか。
芸術とスポーツ
先日行われた甲子園の決勝戦。東海大相模高校と仙台育英高校が試合をしました。点差は10対6で東海大相模の勝ち。スポーツの世界では明確に勝者と敗者が分けられる。
でも芸術の世界には勝負を明確に分けるものはない。好きか嫌いか・・・・。それぐらいしかないのであります。だから、コンテストでも審査員の好みにあったものに金賞銀賞と優劣をつけていくのでありますが、それは絶対的なものではない。出来レースと言われているオリンピックのロゴ問題でも明らかになりましたが、コンテストは審査員の個人的な好みに合っているかどうかを決めるものであります。
その前提を受け入れいた上でないと芸術の世界では生きていけない。そもそも芸術とは優劣を決める類のモノではない。
これもいいね。あれもいいね。
◯か✕かを決めるのは芸術ではない。全て◯なのであります。それなのに、自分の優位性を示したかったりするものだから、明確な基準が欲しくなってしまう。「俺は高いカメラを使っている」なんていう具合に。「俺はオリンピックのロゴを作っている」なんていう具合に。
明確さは芸術の世界には要らない。
要するにですね。
名古屋の不動産会社 部屋セレブさんの女性スタッフ
この子は可愛い。
この子も可愛い。
うん。みんな可愛い。
それが芸術ってもんですよ。ハイ。