情熱という僕の取材テーマについて
25歳で実家の写真館を継いだ僕ですが、10年経って最近はそれなりの結果が出てきたので写真家として「伝える」という活動を増やしています。昔から「熱い」とか「うざい」とか言われてきた僕。情熱を持って生きるという事の素晴らしさを伝えていきたいと思ってるんです。そんな事をボンヤリと考えていた2年ぐらい前に出会ったパッションリーダーズの代表近藤太香巳社長。それ以来ずっとパッションリーダーズの取材を続けています。僕が一番尊敬している近藤太香巳社長の事はこのブログでも繰り返し書いておりますが、パッションリーダーズには他にも熱い人が沢山います。
今日はそんな人を紹介しますね。
狂うほどの情熱「熱狂宣言」
「こんなにすごい人がいるのか・・・。」ノンフィクション作家の小松成美さんの新著「熱狂宣言」で描かれた主人公・・・・パーキンソン病と闘いながら東証一部上場企業の社長になった松村厚久さんから感じたことです。お父さんは高知県で工場を営んでいた経営者で「将来はウチを継ぐように」と言われていたが経営の勉強のためと嘘をついて上京したんだそう。東京という世界への憧れがそうさせた。
うん。それ、よく分かります。僕も「何で俺は徳島みたいな所に生まれたんだろう・・・」田舎に生まれた自分の運命を呪ったこともありました。学生時代、サイゼリヤでアルバイトしていた松村社長は外食産業と出会います。
熱狂宣言の主人公の松村厚久社長。
それから紆余曲折あって2001年。33歳の時に一店舗目「ヴァンパイア カフェ」をオープン。ドラキュラ伯爵の館をモチーフにした食とエンタテイメントの融合した店舗です。そこから約3年間で8店舗を出店するというムチャ(笑)を成功させ、たった9年で100店舗を達成します。しかも、ヴァンパイアカフェを100店舗作ったわけではない。全く違うコンセプトの店を100種類作った。これまでの外食業界の常識とは正反対の事をやってのけたわけです。その後も震災でピンチになったこともあったけど、今年の7月7日にはついに東証一部への上場を果たします。
・・・・という、すごい経歴を持っている松村社長。
若年性パーキンソン病
でも、度肝を抜かれるのはそんな実績を「若年性パーキンソン病」を患っている中で出してきたという事であります。
パーキンソン病とは体が震えたり、筋肉が萎縮して変な動きになったり、姿勢を保持できなくなったりする運動障害。正常な思考ができなくなるわけでなありませんが、体が思い通りに動かないことでうつ病を併発する患者も多いのだとか。難病指定されている病気で完治のための治療法は確立されていません。また症状を緩和させる薬も5年ぐらいで効果が出なくなるそうです。
自分の体に5年後以降の保証がない
病気の宣告をされた時、恐らく10店舗以上を経営していた松村厚久社長。自分がもし同じ立場になったらどうしただろうか?自由に動ける時間があまりないと感じた松村厚久社長は燃えた。自らに残された時間を思えば思うほど熱狂していった。その5年で会社を上場させ目標だった100店舗を達成したのだった。難病と闘いながら、それを乗り越えて東証一部に上場を果たした。
近藤太香巳社長と松村厚久社長。パッションリーダーズが誇るスター経営者。
パッションリーダーズの定例会の写真。
パッションリーダーズの定例会での一コマ。ステージの上の松村厚久社長(写真左)はいつも会場を笑わせる事を考えている。「可哀想だなんて思われたらそれこそ恥。」みんなに心配を掛けぬよう冗談を言いおどけて見せているのだそう。みんな松村社長が普通では無いことは分かっているが、誰も病気の事は口にしない。
そして今年の7月。初めて自分がパーキンソン病であることを松村社長は本で告白した。
写真左から湘南美容外科の相川総括院長とネクシィーズの近藤太香巳社長。一番右に松村厚久社長。
「必ずダイヤモンドダイニングを日本有数の企業に押し上げます。燃え盛る魂を失うぐらいなら死んだほうがましです。燃えて燃えて、仕事に打ち込みますよ。私を苦しめるパーキンソン病との闘いも絶対に諦めません。見ていてください、必ず勝利してみせますから」
松村厚久社長のコトバ 「熱狂宣言」より引用
どんな状況になっても諦めること無く前進し続けている松村厚久社長。パーキンソン病の患者だけではなく、困難を乗り越えて夢を実現するという生き方を示してくれました。読んでいる途中何度も涙が溢れそうになりました。男の本気の生きざまを見せて頂きました。
小松成美さんが書いた「熱狂宣言」。皆さんも時間があったら是非読んでみてくださいね。