敷かれたレールの上を歩きたくない?2代目後継者の選択

徳島から大阪に戻ってきました。忙しかったせいかブログを書くのもこんな時間に・・・。もう毎日更新しないと気持ち悪くなりつつあります(ここ以外にもう一つブログを書いています)。

さて・・・。

昨日は写真館業界の仲間が集まって、本気の発表というプレゼン大会のリハーサル。 よくある事例発表ではなく自分のやってきた想いを本気で発表するという趣旨です。

どんな成果が出たか?の発表ではなく、なぜそれに取り組んだのか?どんな意図を持って取り組んだのか?これからどんなことをしていきたいのか?を本気で発表するんです。

 

参加メンバーは徳島、兵庫、淡路島の写真館経営者7人。

写真館って2代目、3代目、4代目が多いんですよね。そこでみんなの想いを聞いていると、みんなそれぞれのステージで頑張っているんだなぁ・・・・なんて思いました。他人と比べるとしんどいけれど「置かれた場所で咲く」とでもいいましょうか。

 

 

僕ね、名前は「拓歩」っていうんですけど、とても気に入っていて「自分の道を開拓して歩く」っていう意味なんですよね。

けれどそんな親の想いとは違って祖父や祖母、スタッフさんなど周囲からかけられる言葉はそれとは正反対のものでした。

「あなたは将来阿部写真館を継ぐのよ」

 

ある人の発するメッセージとある人の発するメッセージが違う・・・・。職場でよく見かける光景でもありますが、当然大人じゃないですから、自分の中で解釈をつけて自分なりの答えを見つけることはできず悶々とした少年時代。

自分の生き方を決めたのは高校1年生の春でした。敷かれたレールの上は嫌だった。自分の将来が決まっている事が退屈でしょうがなかったんです。両親は楽しそうに仕事してたので。

「将来はミュージシャンになる」と宣言し上京するのですが、ある写真館の息子さんは小学1年生の段階で「僕は継ぐ」と決めていたようなんですね。

 

僕からしたらありえない選択なのだけれど、その先輩からしたら超前向きに選択しているんですよね。

その先輩は幼くしてお父さんが突然の病気になったことで、「家族を助けたい」という想いから継ぐ決断をしたのです。

当然どれも正解はない。

けれど置かれた状況の中でベストの選択をしている。というより、そもそも与えられた選択肢ですら周囲の支えや想いから導かれている。

 

個の意識、顕在化した意識、目の前に現れた選択肢から前向きに継ぐ選択しているけど集合的な無意識としては継ぐ方向(または継がない方向)に導かれている。

すると一旦継がないという宣言をしたこと。

それからミュージシャンを諦めて継ぐという選択をしたこと。

そのどちらも意識的に選択しているつもりでも無意識的には導かれるように選んでいるんだなぁ・・・と改めて思いました。

もちろん「本気でない」のならそれに見合った選択肢しか現れはしないのでしょうし置かれた場所でも咲けはしないのでしょう。

 

どんな選択であっても正解はない。改めてそう感じた一日でした。

写真は最近作った会社の理念。どんなことがあっても、自分たちを信じて進もう。

最近、スタッフのみんなと一緒に作った「僕達が大切にしていきたいこと」

理念経営といえばそうなのかもしれないが、会社の存在理由や目的、価値観と在り方のルール。実現するビジョン(毎日の状態)を明文化することができたおかげで組織としての迷いがなくなってきた。

 

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